殺生石稲荷神社 会津美里町(伊佐須美神社 末社)

神社・仏閣
殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社)

九尾の狐伝説に由来する殺生石

鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性・玉藻前が九尾の狐の化身(妖狐)で、陰陽師の安倍泰成に見破られて東国に逃れ、上総介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治すると狐は石に姿を変えたという伝説がある。

しかし石は毒を発して人々や生き物の命を奪い続けたため「殺生石」と呼ばれるようになり、至徳2年(1385年)には玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国に飛散したという。

殺生石が飛散した先は日本各地の「高田」という地名の3ヶ所(諸説あり)とされ、一般には美作国高田(現・岡山県真庭市勝山)、越後国高田(現・新潟県上越市の高田地区)、安芸国高田(現・広島県安芸高田市)、豊後国高田(現・大分県豊後高田市)、会津高田(現・福島県会津美里町)のいずれかとされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BA%E7%94%9F%E7%9F%B3

会津美里町は 大沼郡会津高田町・会津本郷町・新鶴村が合併してできた町で、伊佐須美神社は旧 高田地区にあります。

殺生石稲荷神社(せっしょうせき いなり神社)

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社)

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社)
柵に囲まれた中に「殺生石」が祀られています。

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社) 殺生石

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社) 殺生石。
注連縄(しめ縄)に結ばれている石が殺生石です。
と思っていたら、本物の殺生石は埋まっているという話です。
関本創の妖怪探訪シリーズ 第5回 福島県 殺生石稲荷神社

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社) 祠

境内南側には祠(ほこら)がありました。

殺生石稲荷神社の由来 案内

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社) 由来案内

字がかすれて読みづらいのですが、抜粋します。
「昔から宮川の氾濫と落雷と火災とは、当地の住民にとって最も畏怖すべき天変地異であり災難であった。
伊佐須美神社の御手洗であり、川として左程大きくない宮川の洪水に多くの犠牲者が出るのは、殺生石の祟りではなかろうかと、その恐怖は幾代か語り継がれてきた。
ある時、在村の藩役人 三村某が発願し、村人と共にその霊を手厚く祀ったのが天保12年(1811年)会津の名僧 源翁和尚が、人民を苦しめていた殺生石を説伏、教化した際に打ち砕かれた化石の一つが、会津のこの地に飛来してきたと傳えている」

源翁和尚

殺生石を退治する逸話から、大きな金槌の玄能・玄翁(げんのう)の由来となった源翁和尚ですが、会津の名僧とあるのは、源翁和尚が1375年に陸奥国会津に赴き、真言宗の慈眼寺を曹洞宗に改宗して示現寺と改めている。栃木県那須町の那須湯本温泉付近にあった九尾の狐が石化した殺生石を打ち砕いたのが至徳2年(1385年)。
本墓は福島県喜多方市示現寺にある。源翁心昭(Wikipedia)

示現寺 熱塩観音(あつしおかんのん) 会津三十三観音 第5番札所

鳥居

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社)

社号標(神社名を石柱などに刻んで建てたもの)、案内板、鳥居が並びます。

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社) 鳥居

写真は境内から鳥居を見たところ。
宮川沿いに建ちます。

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社) 社

社の北側にも鳥居が並びます。

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社) 北側鳥居

社、北側の入口

殺生石稲荷神社 (伊佐須美神社 末社) 北側鳥居

場所、地図

名称:殺生石稲荷神社
所在地:〒969-6263 福島県大沼郡会津美里町宮林

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