天ぷら饅頭「揚げまんじゅう」とは似て非なる 会津の郷土料理紹介 福島県

天ぷら饅頭会津若松
天ぷら饅頭

天ぷら饅頭(天ぷらまんじゅう) はあくまで「天ぷら」

「揚げ饅頭」(あげまんじゅう)は、素揚げも含め、「天ぷら」とはやや趣を別にしていると思います。
「揚げまんじゅう」を普段食べないので、正確にお伝えできないのですが、「天ぷら饅頭」は見た目からして「天ぷら」で、食べ方も同じになります。

なので、饅頭ではありますが料理として紹介します。

天ぷら饅頭(天ぷらまんじゅう) 発祥の地 歴史的な背景

会津ではよく食べられるものなので(たぶん)、全国で食べられていると思っていたらそうでもなくて調べてみました。
資料となるものは見つけられなかったのですが、天ぷら饅頭はどうも長野県が一番古く、発祥の地と考えられるようです。
会津は長野からの食の影響を強く受けています。
会津の松平家初代藩主となる保科正之公が長野から山形、会津と移封された際に、蕎麦職人をはじめとする一流職人を連れて来ているからです。
職人は家族や一族と共に移動になるので、食文化も自然と伴われてきます。
また、会津藩にいた加藤家は、1634年に石見(島根県大田市)に吉永藩を立藩した後、旧領の会津藩から沢山の職人を呼び寄せたとされています。保科正之公が陸奥会津藩へ加増移封されたのが、1643年。時代は前後するのですが、吉永藩へ移り住んだ者と、会津藩に残った親族との交流は続くであろうから会津藩から吉永藩へ天ぷら饅頭が伝わったのではないかと思われます。
その後、加藤家は水口藩(滋賀)へ転封されているのですが、長野県、福島県会津、島根県の人的交流が辿れます。
岐阜県ですが、会津藩の最後の藩主、第9代 松平 容保 (かたもり)は、高須藩 (岐阜県海津市付近) 藩主の六男として生まれ、後に、会津藩第8代藩主、容敬の養子となりました。
人的交流もあったかもしれませんが、海津市は、同じ岐阜の中でも飛騨地方とはかなり離れています。
岐阜(飛騨地方)や島根(大田市)では紅白饅頭の天ぷらという事なので、島根で紅白饅頭の天ぷらになった後に、島根県から岐阜県へ伝わったのかもしれません。地理的には長野に近いので、長野から岐阜(飛騨地方)へ伝わったのかもしれません。

天ぷら饅頭(天ぷらまんじゅう)の食べられている 地域

話は被りますが、天ぷら饅頭は、福島県会津、長野県、島根県、岐阜県の飛騨地方で食べられています。
「滋賀県甲賀市(こうかし)水口町」でも食べられているとは記事をよく見かけるのですが、加藤家は水口藩(滋賀)へ転封されているので可能性はあります。ただ、どんな風に食べられているのか、具体的な記事は見つかりませんでした。
山形県の一部でも食べられているみたいですが、こちらも広く食べられているって感じはありません。
保科正光 公が1643年に会津入りした際、長野県(信州)から蕎麦職人や穀屋を連れてきた経緯があるのですが、まさかその時に天ぷら饅頭もやってきたのか、なんて思ったりしているわけですが、饅頭ってそんな昔からあったのでしょうか。そもそも、天ぷらってポピュラーだったの?
保科正光 公の話は以下に詳しいです。
高遠そば(たかとおそば)、名前の由来。会津の蕎麦が美味しい理由
上記を読まれるとわかりますが、保科正光 公がやはり関連していると考えられます。

饅頭の天ぷら(まんじゅうの天ぷら)

些細なことですが、調べていると「饅頭の天ぷら(まんじゅうの天ぷら)」という記述も見掛けられます。
確かに、「〇〇の天ぷら」とは一般的によく使われる言い回しですが、会津では聞きません。「天ぷら饅頭」が一般的な呼び方になっています。

島根県 大田市の天ぷら饅頭

天ぷらまんじゅう
紅白饅頭に衣をつけて、揚げた天ぷらまんじゅう

紅白の饅頭を二つにあわせ、天ぷら衣をつけて揚げます。お祭りの時に食べられるようでめでたい、楽しげな感じです。
紅白の天ぷら饅頭は島根県内でも大田市のみに伝わるようです。
会津藩40万石を返上した後の加藤家が石見吉永藩(石見国安濃郡吉永(島根県大田市))へ移され存続された事が書かれています。
その後、加藤家は近江水口藩へ加増転封となったのですが、会津からの人の交流や食の交流が考察されています。

同じような考察がされているサイトがありました。
日清オイリオ「第37回 島根県(大田市)天ぷらまんじゅう」

長野県 天ぷら饅頭

長野県「天ぷら万十(饅頭)」JA上伊那生活部会
「葬儀、法事、彼岸、お盆には欠かせない」とあります。会津では、今では年中食べられていて、何かの時に特にという食べ方はされていません。
野菜の天ぷらや海老の天ぷらと一緒に出てくるのは、会津と似ています。

岐阜県 飛騨地方 天ぷら饅頭

飛騨市神岡町「天ぷらまんじゅう」
飛騨市神岡町(かみおかちょう)では紅白の饅頭が使われています。天ぷら饅頭用の饅頭が売られているのもすごい。
会津では家庭で作ることはあまり無く、作るにしても好みの饅頭を買ってきて揚げてます。
普段、食べる機会が多く、家でわざわざ作ってまでして食べない、かな?。
といいつつ、以下では作ってます。

作り方、レシピ

レシピと呼ぶようなものはありません。
天ぷらの衣を作って揚げるだけです。
昔は饅頭も家で作っていたと考えられますので、饅頭にも家庭や地域毎に特色があったかもしれません。
会津若松市の隣に郡山市(こおりやま市)があって、この郡山には、
日本三大饅頭の一つ 柏屋 薄皮饅頭があります。
(リンク先の記事は会津店のものです)
会津で饅頭と言えば、この薄皮饅頭を思い浮かべる、という人も多く、自分も天ぷら饅頭の饅頭といえばなんとなく茶饅頭で薄皮と思いがちです。

今回、天ぷら饅頭を作ったのは娘です。

天ぷら饅頭 衣
天ぷら饅頭 衣

衣をつけて

天ぷら饅頭
天ぷら饅頭

揚げるだけ。
饅頭の写真がありませんが、普通の薄皮饅頭です。

天ぷら饅頭
天ぷら饅頭

いい感じで揚がってきました。

天ぷら饅頭
天ぷら饅頭

天ぷら饅頭 会津の食べ方、食べ時

普通に饅頭?というか天ぷらというか。
天ぷらの盛り合わせに付いてきたり、一品で出たり、弁当のおかずに入っていたり、いろいろです。
大抵は食事の時に食べます。
蕎麦、うどん、ご飯、どれにも合います。
食べ方も色々で、
醤油をつけて食べる人、天つゆで食べる人、そのまま食べる人、普通の天ぷらの食べ方と同じです。

会津で天ぷら饅頭の食べれるお店

メニューに天ぷら饅頭のある店です。
行った事のある店からのピックアップ&行った時の情報を元にしています。
大抵、天ぷら饅頭は注文していません。
嫌いとか好きとかではなく、単に店で注文するには自分達の中では優先順位が低いというだけです。
会津では「ニシンの山椒漬け」「棒タラの煮物」「天ぷら饅頭」といった郷土食があり、天ぷら饅頭のある店では他の郷土料理もあることが一般的です。

会津強清水 千本蕎麦

会津で「天ぷら饅頭」といえば、この千本蕎麦を思い浮かべる方も多いかもしれません。
会津若松の東側入り口、昔、七折峠と呼ばれた峠の猪苗代側にある蕎麦屋です。
ニシン天、納豆天、スルメ天、天ぷらまんじゅう と会津で親しまれる天ぷらが楽しめます。

会津 強清水 千本蕎麦 会津若松ランチ

田季野(たきの)

リンク先は店の紹介ではありません。
田季野は輪箱飯を提供する代表的な店です。
最初の輪箱飯の写真に天ぷら饅頭が入ってます。
輪箱飯(わっぱめし、わっぱ飯) 会津 郷土料理

手打ちそば・うどん 徳一(とくいち)

会津では、手打ちうどんで有名。
蕎麦は二八蕎麦ですが、十分に美味しい。
会津の郷土料理がいろいろメニューにはあります。
手打ちそば・うどん 徳一(とくいち) 会津若松ランチ

鶯宿亭(おうしゅく亭)

以前は蕎麦も出してましたが、訪れた時には蕎麦は無くなってました。
隠れ家的な佇まい。
内装も落ち着いています。
鶯宿亭 飯寺店 会津若松ランチ

蕎八 かやの

蕎麦屋です。
会津でも珍しい「鯉の天ぷら」があります。会津は山国なので鯉はこうタンパク源として江戸時代より養殖が奨励され、その養殖技術が確立されてきました。
「鯉の甘煮(うまに)」は年末年始、お盆にはスーパーに並びます。
隣の郡山市(こおりやま市)は鯉の全国一の生産量となります。
蕎八 かやの 蕎麦で会津若松ランチ

かんのや

仕出し、定食の店と思い込んでいたら、手打そばの店でもありました。
セットメニューは魅力です。
「まんじゅうの天ぷら」としてメニューにあります。
かんのや 会津若松ランチ

手打生そば やまびこ

蕎麦の激戦区、山都町(やまと町)にある蕎麦屋。
メニューに天ぷら饅頭はなかったのですが、天ざるに入っていたので紹介です。
いつも入っているのかは不明。
天ぷら盛り合わせが満足度高しです。
手打生そば やまびこ 山都(やまと)は蕎麦の激戦区 会津

[閉店]帰郷のお宿 ふじや

残念なことに閉店されました。
「天ぷら饅頭の食べれる店」ではありませんが、泊まった晩に出ました。
会津では天ぷら饅頭だけを食べるのではなく、ご飯や麺と一緒に食べることが多いです。
どんな風に料理の一つとして出されるのかご覧ください。
熱塩温泉 帰郷のお宿 ふじや 会津喜多方

コメント

  1. お茶碗アトム より:

    饅頭の天ぷらの元は、禅宗のひとつ黄檗宗で出される精進料理である「普茶料理」です。「普茶料理」では、食事の最後のデザートとして、仏さまにお供えされて線香の匂いがプンプンする饅頭を天ぷらにして出します。
    普茶料理は、京都府宇治市にある本山万福寺などでたべることか出来ますが、中華料理のコースの様な大皿料理になるので、数人で予約が必要。普茶料理は、ウナギで蒲焼きモドキや鯉の甘酢あんかけものみたいな、モドキ料理が出てくる事でも有名です。さ

    • R(アール) より:

      ありがとうございます。いずれ、もっと掘り下げて、もっと広く、書き直してみたいと思います。
      普茶料理(ふちゃりょうり)は江戸時代初期に中国から日本へ来た(1654年)料理のようなので、すると、時期的に長野県(高遠藩)から会津への伝来(1643年)は難しくなります。
      すると、会津にはいつどこから伝わったのか?・・・いつ頃から食べられているのか、文献でもあるといいのですが、料理は時代と共に変化することもあるので難しいです。

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