観音寺(かんのんじ)
左下り観音 (さくだりかんのん)と呼んでますが、正式名称は観音寺(かんのんじ)です。
Wikipedia
行き方、県道23号沿いに「左下観世音」の看板と駐車場
道路には「左下観世音入口」の看板が出ています。
何もない道路なので見落とすことはないと思います。
道路の脇に駐車スペースがあって、ここに車を停めてもいいのですが、もっと上にも駐車スペースがありました。
自分達は、そんなに歩く事もないのだろうとここに停めて歩きました。
お地蔵様とお呼びして良いのでしょうか、お地蔵様って立位のイメージですが、お座り姿です。お顔がはっきりしていません、モザイク処理したわけではありません。
奥に見える道を行きます。
左下り観音、立札です。
ここに600mとありますが、山登りの600mなのでかなりありました。
途中、引き返して車で行こうと思ったくらいです。
行き方、参道、途中から山道。
どういう事情か、古い遊具が一つだけありました。
歩き始めは平坦な道です。
左が旧参道、右が車参道の案内です。
車参道をすすめと書いてあります。
覗くと旧参道は全く手入れのされていない道で、何より、蜘蛛の巣が凄いことになっています。
途中、車道にでます。他にもここに到るルートがあったようです。
そしてまた、車参道を歩きます。
左下り観音、第2駐車場につきました。
次は、ここまで車でこようと思います。
帰る時に気付いたのですが、これは「杖」のようです。
そうです、ここから山登りが始まりました。
案内処には特に人はいなかったように思います。
その隣に夫婦杉と名付けられた杉が立ってました。
母子地蔵、うがい清水、若桜観世音菩薩像
母子地蔵です。
新しいなと思って調べたら、2019年5月5日に奉納され開眼法要されました。
うがい清水とありますが、湧いているのか淀んでいるのか判別ができなかったので、写真を撮るだけにしました。
帰り道ですが、ここで、つれあいが蚊に刺されてしまいました。
若桜観世音菩薩像とあります。
供養塔(慰霊碑)。
階段の設けられているところがあります。
段差は狭く、お年寄り向けです。
雨が降ると滑りやすい場所なのかもしれません。
途中に石塔がありましたが、立札はありません。
左下り観音堂(さくだりかんのんどう)
左下り観音堂は、高さ15mの崖に建てられた懸造り三層閣で、9m四方、高さは14.5mの観音堂です。
懸造り(かけづくり):崖などの高低差が大きい土地に、長い柱や貫で床下を固定してその上に建物を建てる建築様式。
石段を登っていきます。
石段を登っていても怖さはありません。
それにしても信仰って凄いです。
よくこんな所に造ったと思います。
扁額には「普門殿」と書かれています。
キケンの張り紙がたくさん。
奥にお賽銭箱がありますので、格子越しにお賽銭を入れてお祈りしました。
入口を入って右、磐梯山側です。
床が抜けないかと怖いです。
御詠歌が額装されてありました。
左下りは岩に聳えて懸造り いつも絶えせぬ峯の松風
(さくだりはいわにそびえてかけづくり いつもたえせぬみねのまつかぜ)
御詠歌は五・七・五・七・七の和歌を旋律に乗せて唱えるもの、寺を巡礼する人々が讃えた歌です。
屋根があるとはいえ、雨、風を考えると外です。建物の中の感じがしません。
天気が良ければ磐梯山が見えたと思います。
心の目で見ると、なんか薄ぼんやりと見えている感じもします。
手前は地元の人は大川と呼ぶ、阿賀川です。
下に降りる階段です。
廊下は廻ってません、突き当たりました。
奥に無頸 (くびなし)観音が見えます。
入り口から左側です。
秘密基地みたいです。岩がつき出てます、板をうまく切り抜いています。
崖側廊下です、奥には穴が抜けていました。
中のお地蔵さんはこちらから置けば安全です。
無頸 (くびなし)観音
無頸 (くびなし)観音
延長年間(923~929年)頃、越後からの追手から逃れてきた者が、この観音堂に身を潜め、助かることを一心に観音に念じたが、やがて追手に捉まり岩上で首を切り落とされてしまいました。しかし、追ってはその首を持ち帰り主人の前に差し出すと、その者の首ではなく観音の石頸でした。首を切り落とされた観音は、その後「無頸(くびなし)観音」といわれ秘仏とし今もなお安置されています。
http://aizu33.jp/cultural_assets/287/
お堂の中です。
格子で明かりは取れてます。
本尊は聖観音です。
左下り観音堂は、天長7年(830年)に徳一大師が建立したとされてます。
延文3年(1358)には芦名家の家臣富田将監祐義が大修理を加えており、それ以降の改修については詳細が不明です。
当初は北向正面として建てられた三間四方(約5.5m)の禅宗様形式堂宇であったと推測されますが、安永7年(1778)頃に外周の庇(ひさし)が改修され、さらに東向き正面に変更されました。
修験道の入行に先立って籠る行堂として建てられたものと考えられています。
懸造り小堂宇として現存する例は甚だ稀有なものといえます。
行堂 :行者の住む所
堂宇 (どうう):四方に張り出した屋根(軒)をもつ建物
会津三十三観音 第21番札所の立札。
若桜
若桜とは、元海軍航空隊に入隊した海軍飛行予科練習生の事です。
昭和19年頃、予科練20期は特別攻撃隊として散華されました。
先にあった若桜観世音菩薩像は予科練20期有志による慰霊碑でした。
散華(さんげ)とは、華(花)を散布すること。仏教では仏を供養するために華を散布する。また花を散らす意味から転て、死亡すること、特に若くして戦死する事の婉曲表現としても使われている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A3%E8%8F%AF
会津三十三観音の巡礼リストです。
紅葉の左下り観音堂
紅葉狙いでしたが、今回は、少し遅かったか、という感じで葉が落ちています。季節や天気はなかなか難しい。
国道121号線から県道23号へ
国道121号線から県道23号へ入り、程なく橋があります。
馬越橋です。橋の手前までが会津若松市、その向こうが会津美里町になります。
行きは快晴でしたが、帰りは曇ってました。
馬越橋の上から、阿賀川です。
左下り観音堂 (さくだりかんのん)の看板と駐車場。
トイレが設置されました。これでお腹が痛くなっても大丈夫。
上にも駐車場があります。参道を車で登ることもできそうですが、狭いです。
違うルートを選びます。
県道23号沿いから山へ入る
前回は県道23号沿いの駐車場に車を置いて山を登っていきましたが、上の方にも駐車スペースがありましたので、そこに車を停めます。
青丸のところに、左下り観音堂 (さくだりかんのん)の看板があって駐車場のある場所。
県道23号をもう少し進んだところから、舗装路の道を登りました。赤い線です。
案内とかはありません。逆方向から来ると目印がないので通り過ぎそうです。
こんな感じで目印はありません。
舗装路を進むと、左に参道がありますので、参道へ入ります。
駐車スペースに出ます。
駐車スペースから先は一般車両は侵入禁止になってます。
しかし、この先は、それほど距離はありません。
前回は、ここまで登ってくるのに、そこそこ疲れてしまっていました。
母子地蔵、うがい清水、若桜観世音菩薩像
「うがい清水」という名称なのですが、
沢水と思いますが、口をつける気にはなりません。
左から、うがい清水、うがい清水のアカマツの案内、母子地蔵、若桜観世音菩薩像(供養塔、慰霊碑)
狭い石段だなって思ってましたが、あることに気づきました。
車両の侵入禁止になってましたが、参道そのものは車両が通れる幅があります。
車両が石段をまたいで登るのにちょうどいいのではないかと思います。
最近、車を買い替え、(中古の)パジェロミニになったので、これなら「行けるかな」と思いました。
黄色ばかり、写真としては赤も欲しい
駐車場からは傾斜もありますし、道が折れていますので、左下り観音堂は見えません。
色づいた季節 左下り観音堂
最後の道を折れると、唐突に左下り観音堂が現れます。
奥から見たところ
岩肌に聳え建っています
入口は一番上階にあります。
無頸 (くびなし)観音
建物は回廊になっていて(ただし、西側は回れない)
山側を進むと、奥から無頸 (くびなし)観音があります
無頸 (くびなし)観音、山側から見たところ
無頸 (くびなし)観音、谷側から見たところ
谷側、回廊
晴れていれば、磐梯山が遠くに見えます。
雲海が広がってました。
場所 住所、地図、ナビ用リンク (行き方/アクセス)
左下り観音寺と石積み地蔵尊 への ナビ用リンク (ナビ用の別画面が開きます)
ナビ用リンクは、県道沿いの看板のあるところ(下の駐車場)です。
名称:会津三十三観音第二十一番札所左下り観音堂
所在地:〒969-6131 福島県大沼郡会津美里町大石東左下リ 一の一
この日は、つれあいお勧めの「つかさ」に行ってランチに会津山塩ラーメンを食べ、ついでと言っては何ですが、足を伸ばしてこちらにやってきました。つかさも満足度の高いお店でしたので、是非ご覧ください。
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