福島県 迎賓館 旧高松宮翁島別邸 最上級の素材と匠の技の日本建築

旧跡・文化財
福島県 迎賓館 旧高松宮翁島別邸

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福島県 迎賓館(げいひんかん)は一般公開されておりません。
この日は、特別公開プログラムに予約して見学しました。
特別公開プログラムはガイド付きで、天鏡閣見学+ロイヤルティータイム+迎賓館見学になります。2020年の予定では11月までになっていますが、定員が8名/日となっていますのでご覧になりたい方は早めの予約をお勧めです。

一般1,070円
高校生910円
小中学生800円

詳細(問い合わせ、予約)は、令和2年度福島県迎賓館特別公開についてをご覧ください。
ガイドの方がいるのでより楽しく過ごせました。ガイドの方はとても詳しいのですが、お客様の中にも詳しい方がおいでで、建築や天皇家の事など教わることもあると話されてました。

長屋門、アプローチ

福島県 迎賓館 長屋門

福島県 迎賓館は初めてきました。天鏡閣は一般公開されていますが、迎賓館は見れないと思っていたので来たことがありませんでした。
この門の大きさにはびっくりです。山の中というか、森の中に突然この門がありました。迷って知らずに来て、この門を見たら気が動転すると思います。

福島県 迎賓館 案内

長屋門の前の案内
庭園の見学期間:5月1日〜10月31日
時間:午前9時〜午後4時

この期間、時間内であれば庭園の見学なら自由にできるという事です。

福島県 迎賓館 長屋門の扁額
長屋門

門の両側部分に門番や家臣、使用人の居室を備えた門。

この長屋門は昭和18年に栃木県からこの地に移築された物です。この石畳も全て栃木県から列車で運ばれたというお話でした。
扁額(へんがく)に迎賓館とあるのは高松宮家より福島県に御下賜(ごかし)された際に活用の目的から名付けられました。

扁額(へんがく)

建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額のことです。特に神社に掲げられている額を「神額」、寺社に掲げられている額を「寺額」と呼ぶようです。

福島県 迎賓館 アプローチ

門の奥に見えるのが福島県 迎賓館 旧高松宮翁島別邸です。
アプローチは左側です。右側に進むと台所棟になります。あと、見学者が使えるトイレがありました。

福島県 迎賓館 旧門構えの跡

長屋門と建物のアプローチの真ん中あたりに門構え跡があります。
当初の門はかなり小ぶりであったようです、長屋門が大きすぎるだけかもしれませんが。

福島県 迎賓館 旧高松宮翁島別邸

天鏡閣は有栖川宮威仁親王が御別邸として建設されました。有栖川宮威仁親王は1913年(大正2年)に52歳で薨去(こうきょ)され有栖川宮は断絶が確定しましたが、大正天皇によって第三皇子の宣仁親王へ将来的に高松宮の号を与え、その祭祀を継承させることにしました。
高松宮翁島別邸は、宣仁親王殿下が有栖川宮威仁親王妃慰子(やすこ) 殿下の御保養の為に 1922年(大正11年)に建設されました。

福島県 迎賓館 旧高松宮翁島別邸

天鏡閣を見学してきた後なので、ギャップがすごいのですが。
木造平家建て178坪。178坪です。打ち間違いではありません。
聞くだけで豪奢です。

福島県 迎賓館 玄関

この正面玄関は普段は使われないそうです。
鬼門にあたる方角ですが、磐梯山を正面においた配置にした為ではないかと考えられているようです。
鬼門にある為、質素な造りにした上で、お車寄せを鳥居組柱で支え、桟唐戸(さんからと)にするなど社寺建築によって方位障を払拭したようです。

福島県 迎賓館 桟唐戸

木目が揃っているのは、一枚板をそのまま造作したことによります。
京都の宮大工による物ですが、手間暇が惜しまずに注がれている感じです。

福島県 迎賓館 脇戸から入った部屋

正面玄関横の脇戸から入った部屋です。お付きの人達が控える場所になるのでしょうか。

福島県 迎賓館 源氏香を象った欄間

源氏香を象った欄間。
最初の部屋から、正面玄関前を通り入った部屋です。
これは、日の光を透かしてみるように反対側から見るのが正しいようです。

福島県 迎賓館 松の間

上下2室の「松の間」になります。
間越しに筏欄間、上座敷には本床、違い棚を要した床脇を構えます。

福島県 迎賓館 松の間、釘隠し

松の間の釘隠しは松の形でした。

福島県 迎賓館 梅の間、明り欄間

明り欄間の菱組格子欄間です。
梅の間は上中下の三室からなっています。

福島県 迎賓館 梅の間、釘隠し

釘隠しは梅です。

福島県 迎賓館 梅の間

梅の間の3つ目の部屋です。明り欄間のある部屋と、この部屋の間にも一部屋があり、そこが寝室になっていたようです。

福島県 迎賓館 梅の間、カヤ吊り金具

福島県 迎賓館 梅の間、欄間無し

寝室に使われたであろう部屋には、カヤ吊りの金具がありました。
また、明りが入らないように欄間が設けられていません。

福島県 迎賓館 竹の間

格式に囚われず数寄屋風造りの「竹の間」です。
正面玄関との対角の位置にあり、裏鬼門となることから間口の庇(ひさし)は鳥居組柱で支え障い(さわい)を払っています。

福島県 迎賓館 竹の間

福島県 迎賓館 竹の間

茶室らしい趣です。
今やキチンとした和室を作る家もないですし、ましてや茶室を造ることなど聞いたこともありませんから、こうして残されていくのは貴重だと思います。

福島県 迎賓館 浴室

浴室です。天鏡閣の浴室は沸かした湯を人力で運んでいましたが、こちらは給湯設備が完備されていたようです。
天鏡閣の建設が1908年(明治41年)に対し、こちらの高松宮翁島別邸は1922年(大正11年)なので、14年後の建設になります。給湯設備と言ってもどんな物なのかは不明で気になる所です。

福島県 迎賓館 浴室天井

天井には換気穴があります。

庭園

福島県 迎賓館 庭園、玄関前

庭園は建屋の猪苗代側と西側にあります。
正面玄関の猪苗代側に歩いて行きます。

福島県 迎賓館 庭園、百合

福島県 迎賓館 庭園、百合

天鏡閣の周りにも咲いてましたが、百合が沢山咲いていました。
花が重いのか、垂れているものが多かったのですが、キチンと立った百合がありました。

福島県 迎賓館 庭園から見た「松の間」

庭園から見た「松の間」、猪苗代湖の眺望が素晴らしかったようです。今は樹木に遮られていてあまり猪苗代湖は見えません。

福島県 迎賓館 庭園、東屋

東屋があり、その先は猪苗代湖まで急峻になっています。
現在は、国道49号線が通っています。国道が通る以前には猪苗代湖まで降りていく道があったそうですが、今は道の面影はありませんでした。

福島県 迎賓館 庭園、東屋付近から建屋、パノラマ

東屋付近から建屋方向へ、パノラマで撮って見ました。
左手はもう森です。

福島県 迎賓館 庭園、東屋付近から建屋

東屋から少し周って見た建屋です。
右から「松の間」「梅の間」「竹の間」があります。

福島県 迎賓館 竹の間、庇

鳥居組柱なるものがよく分っていませんでしたが、なるほど、庇(ひさし)を支えている柱は鳥居に見えます。
鳥居は神域と常世を分ける結界になりますので、これで邪を払うという事になるのでしょう。
建屋に目がいってしまいました。振り向いて庭の写真があればよかったのに撮らなかったようです。

福島県 迎賓館 松の間外観

天鏡閣のガラスが震災で割れたのに対し、こちら高松宮翁島別邸ではガラスの被害が無かったそうです。日本家屋は地震の多い日本では機能するという話だと思います。

公式サイト

福島県迎賓館(旧高松宮翁島別邸) - 雅へのいざない
旧高松宮翁島別邸は、大正天皇第三皇子・高松宮宣仁親王殿下が、有栖川宮威仁親王妃慰子殿下の御保養のために、大正11年に建設されたものです。

所在地、地図

名称:福島県迎賓館
所在地:〒969-3285 福島県耶麻郡猪苗代町大字 翁沢字畑田1072-4
場所:

福島県 迎賓館(げいひんかん)の前に見てきた天鏡閣、ロイヤルティータイムについては以下に投稿しました。