日本三虚空蔵菩薩の一つ、福満虚空蔵尊(ふくまんこくぞうそん)
第1回Nゲージまつりに会津柳津(やないづ)へ行ったので、柳津ソースカツ丼を食べて、その足で福満虚空蔵尊 円蔵寺(ふくまんこくぞうそん えんぞうじ)へお参りしてきました。最後はお約束の柳津の銘菓、あわまんじゅうを買って帰りました。
「会津柳津町」という地名はありません(福島県河沼郡柳津町)。
「会津」は地方名です。会津地方のどの市町村にも、よくこういう表記がされます。
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) 読み方、呼び方 会津では「こくぞう様」
福満虚空蔵菩薩は日本三虚空蔵菩薩の1つになります。
日本三虚空蔵菩薩については、以下に詳しく書きました。
日本三虚空蔵菩薩ってどこだか調べてみました、まとめ
虚空蔵菩薩は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊のことで、無限の智恵と慈悲を持った菩薩になります。
様々(さまざま)な呼ばれ方がされています、福満虚空蔵菩薩、柳津虚空蔵菩薩、福満虚空蔵尊、柳津虚空蔵尊、福満虚空蔵、柳津虚空蔵、と、どれも誤りではないようです。
自分達は「こくぞう様」とお呼びします、どう呼ぼうが正しいのです。
……些末な事ですが、こくうぞうさまが(より)正しい。
東北は寒いので、縮めて短く発音するとか言われますから、短く発音していたのかもしれません。
このページの一部の写真は2010年 9月に撮った物が含まれます、都度、明記してあります
仁王門 (におうもん)
仁王門は寺院を守護する金剛力士を安置した寺院の門です。
この石段から登り始めます、石段の奥に見えるのが仁王門になります。見えるくらいの距離なのは精神的にありがたいです。
大型バスで来ると(山側の駐車場へ停めると)、
こくぞう様参りには今まで何度か訪れています。子供が小学生の時のPTA学年行事の6学年の行先の定番でした。この時はいつもバスに乗ってきましたので、大型バスの停められる駐車場から入ってましたが、これは表参門ではありませんでした、表参門の反対側の入り口になります。
今回、初めて表参門の「仁王門」から入りました。
注連縄(しめなわ)っぽいものが見えます。注連縄(しめなわ)は神域と常世を隔てる結界の役割を持つ神道の祭具になりますが、神仏習合の結果になるのでしょうか。
奥にはまだ石段が見えました。
右の仁王様。開口の阿形(あぎょう)像です。
仏教では物事の始まりを表すとか。
左の仁王様。口を結んだ吽形(うんぎょう)像です。
仏教では物事の終わりを表すとか。
「阿吽の呼吸」とはこの2人なんですね、2人が言葉も介さずピッタリのタイミングで示し合わせた動作ができることを指す言葉だと思いますが、調べると、神社の狛犬やシーサー像など二像一対であるものはみんな、阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)になっているようです。
それにしても、物事の始まりと終わりとは、仁王門が意味深いものとして感じられます。
左右の仁王像(阿吽像)に見据えられた門の上には「無怖畏」とあります。調べたら「怖畏 (ふい)」は、「恐れること」とありました。「恐れることなかれ」になるのでしょうか。お寺、カッコいいです。
苔むして雰囲気があります。奥にはお地蔵様が見えます。
もう少しです。お地蔵様に手を合わせるのを忘れてしまいました。
ベコの像、手水舎、鐘楼
表参門の石段を上りきってすぐ左にベコの像がありました。
虚空蔵菩薩は、丑年、寅年、1月、2月生まれの人の守り本尊で、牛とは深いかかわりをもちます。ベコは牛のことです。
石段を上り切った正面には、手水舎(ちょうずや)が見えます。ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃとも呼ばれるようです。
手水舎には不動明王(たぶん)が安置されていました。
(2010.09撮影)
大日堂 表参門にある大日如来のお堂
不動明王は、大日如来の化身とも言われています。そう言えば、表参門の岩肌に大日如来のお堂がありました。
今から凡そ330年ほど前の天和のころに、この大日堂の奥の岩肌に大日様のご尊像が自然に現れ、その後 風雨のため岩肌が剥落しても そのご尊像は消えなかった。
ときの山主、泰州和尚が天和二年 (1682) 六月八日、大日堂の造り始めの儀を行い、供養してその後落慶させた。
当時のお堂は 彩色を施した立派なお堂であったと伝えられています。
この大日様は 岩肌が剥落しても そのご尊像は消えずに また現れたその神秘性に、神仏の力を感じてお祀りしたものであり、虚空蔵菩薩信仰とのかかわりも深く、その知恵の光明は すべてにわたって広く照し 神の威力を上まわるということから大日といい、霊験あらたかな大日様として信仰をあつめ、以来三〇〇年以上 地元寺家町の守り神としてのお祭りが続けられております。
なお、大日様は未申年生まれの方の一代守り本尊であり、七月八日の例祭日には、毎年多くの方がお詣りされています。
手水舎には作法があるようです。でも、これって神道の作法なのかな……よくわかりません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%B0%B4%E8%88%8E
- 右手で柄杓(ひしゃく)を取り、手水を掬(すく)う。
- その手水で最初に左手を清める。
- 次に柄杓を左手に持ち替え、同様の動作で右手を清める。
- 次に口をゆすぐためもう一度右手に柄杓を持ち替え、左の手のひらに手水を溜めて口に含む(柄杓の椀に直接口をつけない)。
- 音を立てずに口をゆすいで清め、そっと吐き出す。
- 先の動作で左手をもう一度清める。
- 最後に柄杓の柄を片手で持ち、椀部が上になるよう傾け、柄に手水をしたたらせて洗い流す。
- 柄杓を元の位置に静かに戻す。
最後に「柄に手水をしたたらせて洗い流す」のは、新型コロナを警戒する昨今では大切なことだと思いました。
赤べこ 伝説
会津の赤べこは、1611年の大地震で倒壊した本堂再建に、どこからともなく現れた赤毛の牛の群れによって建てることができたという話が由来になっています。赤べこページがあります、補足程度ですがご覧ください。
赤べこに感謝を込めて建立された、開運「撫牛」。
体の痛いところを撫でると治るとも、良くなるとも言われています。
良く撫でられているところがテカッてます。痛くもないだろうに「もっと良くなれ」で顔がとても撫でられていることが見て取れます。
同じ理屈で、子供達にはもっと良くなる様に、頭を撫でさしてました。(悪いから治してもらえ、ではないですよ)
圓蔵寺(円蔵寺)山号は霊巌山 本堂 菊光堂
本堂(菊光堂)は、3方開きの破風4面2層建築。
破風は屋根の造形です。この反対側は裏参門側の入り口になっていますし、只見川側(写真の左側)は舞台になっていてそちらにも入り口がありますので、3方開きになります。この日は裏参門側と只見川側は閉じられていました。
裏参門は、北参門(福満門)とも呼ばれるようです。
本堂の中の撮影は禁止です。
それにしても、いつも人でいっぱいだった印象ですが、数えるくらいしか人がいません。お土産物屋さんも閉まってました。
只見川側に面した舞台です。
本堂を回って、このまま真っ直ぐ行くと、裏門の北参門(福満門)に通じます。
北参門(福満門)の手水舎こちらの手水舎は水が張られていませんでしたので、普段は使われていないのかもしれません。(2010.09撮影)
この先に裏門の北参門(福満門)があるはず。(2010.09撮影)
Wikipedia 円蔵寺
十三講参り 6年生のPTA学年行事
十三講参りについて。(十三参りとも呼ぶようです)
6学年時に学年行事の行先として福満虚空蔵尊圓蔵寺へお参りするのは、数え年13歳に成長した男女が、成人の儀礼として圓蔵寺へ参拝する風習に従っています。これが十三講参りです。
昔、13歳に成長するまでが大変だった時代背景もあるかと思いますが、干支が初めて一回りして最初の厄年となる年齢にあたります。そこで、厄を払い、これからの成長を願ってのお参りだったと考えられます。また、虚空蔵尊への十三参りには、虚空蔵菩薩が十三番目に誕生した智恵と福徳を司る菩薩とされることが由来ともされています。虚空蔵尊へのお参りは、知恵を授けられるよう願います。
一般的には、小学校を卒業して中学校に入学する春に寺社を詣でるようですが、全ての子が十三参りするわけではありません。1人でも多くの子を十三参りに連れて行きたくて6年生のうちに学年行事として行ってました。
子供達は普段は入れない本殿の奥に上がりお話を聞き、お参りしました。
表参門から上がって右側に立派な鐘楼がありました。
この鐘の音は「うつくしまの音30景」に選ばれた事があるようです。
圓蔵寺と奥之院の夕暮れに沈む鐘の音(河沼郡柳津町)
今の県庁ページでは見つかりません、1997年の選定だからでしょうか。
手水舎(ちょうずや)に向かって右奥の石段。バスで来ると、この道を通ってきます。この先には宝物殿があります。シャッターが閉まっているのは、お土産物屋さんです。
鐘楼の先です。この道を行くと奥之院弁天堂があります。
2020.7.9 途中まで行きましたが遠かったので戻ってしまいました。
2020.9.19 鐘楼の所から歩いてくると、一度道路に出ます。
これは道路から撮った写真です。道路を渡って奥之院弁天堂の参道に入ります。
福満虚空蔵尊圓蔵寺 開創(寺院を創設すること)、縁起
福満虚空蔵尊圓蔵寺はおよそ1,200年前に弘法大師(空海)作の虚空蔵菩薩を安置するため、名僧 徳一が虚空蔵堂を建立したのが始めとされます。圓蔵寺は虚空蔵堂の別当寺として建立されたと伝えられています。
縁起によると、平安時代初期、弘法大師(空海)が唐の高僧から霊木を授かり、帰国後その木を三つに分けて海に流したところ、その中の一つがここ柳津町に流れ着いたとのことです。茨城、千葉、そしてここ柳津で、これが三虚空蔵菩薩となります。
名僧 徳一は磐梯山の清水寺(慧日寺)を建立したことも会津では有名です。
柳津の案内では日本三虚空蔵菩薩になってましたが、日本三大虚空蔵菩薩とも呼ばれるようです。他に日本三体虚空蔵菩薩とかもあり、かつ、組み合わせが幾つかあってよくわかりません。「福島県 圓蔵寺 福満虚空蔵菩薩」と「茨城県 日高寺 大満虚空蔵菩薩(村松山虚空蔵堂)」はどの組み合わせにも含まれていました。
詳細は下記にまとめてあります(先述してありますが再記)。
日本三虚空蔵菩薩ってどこだか調べてみました、まとめ
観光案内所、駐車場、あわまんじゅう
仁王門まえに道路を挟んで観光案内所があり、私達はここの有料駐車場に車を停めました。駐車台数は少ないです。
観光案内所内にの無料ティッシュがあったのでいただきました。
赤べこが買えます。右側のでかいのは「プレミアム赤べこ」45,000円です。ご利益あるな。
後日談なのですが、会津を離れて暮らす弟家族に赤べこが無いと知って会津若松市内で赤べこを買いました。
観光案内所前から見た福満虚空蔵尊圓蔵寺。
かなり高さがあるのですが、道路に工事車両が入っていて、下からの写真が撮れませんでした。
只見川です。川の色ですが、只見町からこの柳津までしか知りませんが、只見川はいつもどこもこんな色です、翡翠色とかエメラルドグリーンとか言われます。川底とか見えないのでちょっと怖い気もしますが、天気の良い日は綺麗です
福満虚空蔵尊圓蔵寺は只見川からはかなりの高台に建立されています。(2010.09撮影)
川の上流から運ばれた木材を赤べこさん達が本堂のある場所まで引いて登ったわけです。
帰り際、あわまんじゅうを買いました。
柳津の名産です。柳津でないと買えないという訳ではないのですが、せっかく柳津に行ったのだからと買ってしまいます、お約束みたいなものです。
柳津に寄ったらお約束のあわまんじゅう
公式サイト、場所 住所、地図、ナビ用
名称:福満虚空蔵尊 円蔵寺 福満寺「日本三所の秘仏」といわれる、弘法大師由来の南三陸奥州柳津虚空藏尊。丑年・寅年の一生一代の守り本尊であり、また十三仏の最後三十三回忌の本尊です。「縁結び」「良縁成就」にも大きな力をもたらすとしても評判です。
所在地:〒969-7201 福島県河沼郡柳津町大字柳津寺家町甲176
圓藏寺 無料駐車場 への ナビ用リンク 大型バスも入る駐車場。宝物殿周りで本殿に向う(山側)。表参門の反対側。
柳津町 温泉観光案内所 有料駐車場ナビ用リンク 表参門に近く、ただし、駐車台数は少ない。
2020.9.19 近くの宿では日帰り入浴ができます。コロナ渦で日帰り入浴をやめている宿もありますので事前に電話で確認してください。つきみが丘町民センターは公共の宿です、日帰り入浴してきました。
コメント