自分のアンテナがしょぼいとしか言いようがありませんが、会津若松市内にこれだけ見応えのある建築物があるとは知りませんでした。掛軸や屏風などの展示物も多数です。
つれあいは、なんのことはない、何度か来ていると言う話です。
お部屋が多くて、正しい紹介になるか不安ですが、そこはお優しい心の目でご覧願います。
写真で見るより、実物を見る方が素晴らしくいいです(写真がイマイチなことへの言い訳です)
大町通り(野口英世青春通り)に面した店蔵
店蔵です。左手にあるのが仏間蔵。
これから入るのはお店ではなく、店蔵の奥にある母屋の方になります。
写真の右手の奥に玄関があります。
入館料、大人 300円でした。
部屋数は多く、見るものも多いので、この入館料は決して高くはありません。
(人によって価値観は異なるので一概に言えるものではありませんが)
母屋
店蔵の奥にある母屋です。
左右に廊下があり、それぞれが庭に面した作りで優雅(贅沢)な作りです。
福西家の多い時は七世帯が居住したこともあるようです。
母屋蔵
「母屋」とつく部屋が3つあって、母屋の奥に「母屋蔵」があります。
母屋と母屋蔵の間はホールのようになっていました。
母屋蔵は、現在、ギャラリーとして使用されています。
この日は「きこりの森の展覧会」2020.10.23(金)-11.3(火)が行われていました。
椅子の展示ですが、回転して座り易かったです。
母屋蔵全体は人がいて写せませんでした。
母屋蔵ギャラリーは内部で2階建て構造になっていました。
数寄屋
庭に面したお客様が逗留した部屋。2階建て。
山内 多門(やまうち たもん)作 虎渓三笑図
季節で置いてあるもの、飾ってあるものが変わるということなので、興味のある方には嬉しい話です。
庭園には池がありましたが、今は水が抜かれている状態でした。
現代建築では庭に面した廊下を見ることはありませんが、日本建築らしい間取りが楽しめます。
欄間が素晴らしいです。
欄間は採光、通風、装飾といった目的のために天井と鴨居との間に設けられる開口部材です。会津若松は寒さの厳しい土地柄であると同時に、盆地という事もあって夏は蒸し暑い土地柄でもあります。
座敷蔵
歴代当主が住んだ座敷蔵。
庭園も一望でき、お客様も招いたようです。
庭園から右手には数寄屋が見えます。数寄屋は3方が庭園になっているのがわかります。
庭側からみた座敷蔵は、その広さがわかります。
母屋(奥)
母屋という案内です。最初に通った母屋が左側に見えます。奥座敷になると思います。座敷蔵の向かいです。
三井親和書(みつい しんな)とあります。
信濃(長野県)の人で、つとに江戸に出て、書を湯島の禅僧東湖に学んだ。書道の達人。元禄13年(1700)生~天明2年(1782)没
仏間蔵
袖蔵の一部を仏間としたもの。
袖蔵は店脇に配される商品・什器の収納蔵。敷地の北または西に位置することが多いです。
店蔵の北に隣接しています。土蔵造り二階建の一階東半分にあたります。
明治40年(1907)の福西一族の写真です。
建築年次などに謎の多い建物になっていて、店蔵や炭蔵と同時期の大正三年に完成と伝承にはあるものの、和釘の存在から座敷蔵と同時期の明治19年とも考えられています。
母屋二階
母屋二階です。
設え(しつらえ)がとても上品で良いように思いましたら、3部屋で30畳の大広間で盆暮れや正月などの催事にハレの場として使われたようです。
建築物は改修が加えられていますが、この大広間だけは建造時の姿をそのまま伝えられているとあります。
母屋二階の弐の部屋です。
各部屋に福西家に伝わる掛軸や屏風が各部屋に展示されていますが、ここには重箱がありました。これだけの重箱は今ではなかなか手に入らないのではないでしょうか。器類も多く伝わっているようなので、展示していって貰いたいです。
母屋二階の参の部屋です。
この大広間を使って会合や催し、ワークショップが入館終了後に行われることがあります。つれあいは、それで何度か来たことがあるようでした。
茶室
茶室は二階にありました。茶室は一階にあるもんだと思い込んでいたので珍しいと思いましたが、特に説明案内はありませんでした。
展示品もそうですが、床柱や、釘隠しなど、見るところは沢山あります。
四季それぞれの風情もあるかもしれません。
またいつか来てみたいと思いました。
サイト、所在地、地図
所在地:〒965-0878 福島県会津若松市中町4−16
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