新宮熊野神社 と 長床 と 大イチョウ と 成人参拝 喜多方散歩

新宮熊野神社 成人式参拝神社・仏閣
新宮熊野神社 成人式参拝

新宮熊野神社

娘が成人式の前撮りで晴れ着を着ていたので、喜多方の新宮熊野神社へ参拝にやってきました。
写真撮影をしてもらったカメラマンさん達が「長床は落葉しているけど、落ちた葉で綺麗でしょ」という話がありまして、会津若松から喜多方へやってきました。
会津縦貫道ができて、会津若松市と喜多方市は近くなりました。

大鳥居

新宮熊野神社 大鳥居
新宮熊野神社 大鳥居

立派な大鳥居です。土津神社(はにつ)の白い大鳥居も珍しかったですけど、この屋根付きってのも珍しいと思います。

新宮熊野神社 拝観料受付
新宮熊野神社 拝観料受付

大鳥居をくぐってすぐ右手に建物があって、拝観料を受け付けています。
お一人300円です。
ちなみに、途中で雨が降ってきて車に傘を取りに戻った際、この事務所に声を掛けたら傘を貸してくれました。受付窓口の建物右側に傘があって、それが貸し出し用の傘です。

新宮熊野神社 参道
新宮熊野神社 参道

参道はこんな感じです。
それほどの距離はありません。

新宮熊野神社 手水舎
新宮熊野神社 手水舎

手水舎
この手水舎と拝観料受付のある建物の間に宝物殿があって帰りに寄っています。

長床

新宮熊野神社 長床案内
新宮熊野神社 長床案内

手水舎の隣に長床の案内看板

国指定重要文化財(建造物)熊野神社長床(くまのじんじゃ ながとこ)

長床は熊野神社の拝殿で、九間✖️四間、茅葺寄棟造りの建物です。
直径一尺五寸(45.5cm)の円柱四十四本が5列に並び、各柱の間は十尺(303cm)の等間隔で全部吹抜けです。外廻り一間通りが化粧屋根の庇の間として区切るように並べてあり、中央桁行七間、梁間二間のところは天井を張った身舎(もや)となっています。
各柱の上には、平三斗の組物がのり、中備えには間斗束(けんとづか)を用いています。
前身建物は、各所に残る部材の様式手法から考えて、平安時代末期のものと推定されます。慶長十六年(1611年)の大地震で倒壊し、同十九年に再建されましたが旧材を再使用したため、柱間寸法が縮み身舎九尺(272cm)庇八尺(248cm)となり、また組物や天井等を廃したり、軒はせがい造りに改められたりしていました。
そこで昭和四十六年から四十九年にかけて解体修理が行われた時、調査の結果旧規を知る箇所が数多く判明したので、できる限り当初の姿に復元しました。
中央の系統をひく平安時代末期の遺構として、東北地方では他に類をみないものとなりました。

喜多方市教育委員会

新宮熊野神社の長床にある大銀杏が有名なのですが、時は遅し、落葉しています。

新宮熊野神社 と 長床 と 大銀杏
新宮熊野神社 と 長床 と 大銀杏

奥の建物が「長床」
手前の太い木が「大銀杏」です。
(この写真は2枚の写真から合成しています。合成はかなりいい加減な仕事なのでよく見るとわかるかもしれません。三脚が右手に写っているのですが、これを放置されたカメラマン二人のウチ一人が、石段を登った場所で陣取ってなかなか移動されず、やむなく合成です)

大イチョウ(銀杏)

新宮熊野神社の大イチョウ
新宮熊野神社の大イチョウ

大イチョウの案内看板(なんでカタカナなんでしょう?)

市指定天然記念物 新宮熊野神社の大イチョウ

イチョウは、かつて中国から日本に渡来したとされ、この大イチョウは神社創設の際に植えられたものと口伝されている。
樹高は約三十七メートル、幹周りは約八メートルで、全国でも最大級のイチョウである。樹齢は八00年以上ともいわれ、当社の神木となっている。かつては会津若松市からも見ることができたといわれるこの巨木は、熊野神社長床とともに、神社の景観を象徴するものとして、悠久の時を刻み続けている。

市指定年月日 平成十八年一月四日
喜多方市教育委員会

落葉が綺麗です。

長床と大イチョウ
長床と大イチョウ

本殿

新宮熊野神社 本殿
新宮熊野神社 本殿

長床のすぐ奥に本殿があります。

熊野神社 本殿 案内板
熊野神社 本殿 案内板
福島県指定重要文化財(建造物)
熊野神社本殿 三棟

国指定重要文化財熊野神社長床を拝殿とし、石段をのぼった山の中腹に、玉垣をめぐらして三殿が並列し、東を向いて建っている。中央が本社新宮証誠殿、左が本社那智山飛龍権現、右が末社本宮十二社権現である。
三社とも一間社奥行二間、妻入り向拝(こうはい)付の同じ規模であるが、各社各部に手法や細工の程度に相違がみられ、同じ棟梁でないだけでなく、修理のあとも多い。
中央の新宮殿は、両末社より手法・細工とも入念であり、基壇はなく、礎石の上に地長押しを置き、縁長押も設けて床を高くしている。向拝には特に浜床に相当する部分はない。向拝の三つ斗・つなぎ虹梁(こうりょう)・木鼻(きばな)などが洗練されている一方、主屋の木鼻や懸魚(げぎょ)は鈍いので、向拝は修理にあたって変更を受けているとも考えられる。一見して春日造りの形を取るが、ここでは向拝を入母屋の妻屋根の延長として扱い、平行二重の繁垂木は隅木を入れて全面にも巡らし、縁も両側面に延長して脇障子をたてるなど、本来の形式よりは進歩している。
この種の本殿形式は紀州熊野神社社殿がそうであるところから、熊野造りの名称もある。東北地方の神社本殿はほとんどが流造りである中で、わずかの熊野神社のみが妻入りの系統を伝えているのは興味深い。建立時期についての記録はないが、形式伝播や同種の例から推定して、主屋は室町末期以降、向拝などには慶長年間(1600年頃)に、山上から現在地に移されたとき大修造があったと考えられる。
なお、熊野造りが三社併置されている大規模遺構は、県下に当社以外例をみない。

福島県教育委員会

場所、地図

名称:新宮熊野神社
所在地:〒966-0923 福島県喜多方市慶徳町新宮熊野2258

コメント

タイトルとURLをコピーしました